【映画】【ここが見どころ】パワー・オブ・ザ・ドッグ

映画

2022年アカデミー賞に最多12部門にノミネートされた傑作。監督ジェーン・カンピオン、トーマス・サヴェージの同名小説の映画化作品。キャストにベネディクト・カンバーバッチ、キルステン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィー。2021年公開作品。

あらすじ

1925年のアメリカモンタナ州。主人公フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)は弟ジョージ(ジェシー・プレモンス)と二人で親から受け継いだ牧場を経営している。

頭の中も身体もシャープな兄フィルはカリスマ性を発揮し牧場で働くワイルドなカウボーイたちを統率。一方、弟のジョージは大学を中退し太っちょなカラダ、同じ経営者ながらカリスマ性は皆無。そんな弟のジョージにフィルはある日未亡人ローズ(キルステン・ダンスト)と結婚したことを告げられ、妻となったローズが兄弟で暮らす家にやってきます。

その結婚を快く思っていないフィルは金目当ての結婚だとローズを罵り追い詰める。そしてローズの連れ子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)への嫌がらせも始まるが。。。

見どころ

見どころを書く前に

まずこの映画、決して楽しい映画ではありませんし、感動して涙が出る映画でも笑える映画でもありません。すごく淡々としてますので油断すると寝てしまう可能性もあります。

正直、はじめて観たときはエンドロールに入って「え、なに、これで終わりなの?」と正直思いました。そして、理解しました。あーこういう映画なのか、と。一回観ただけじゃわからせない、説明が少ないので明快さは皆無、ちょっと高尚で玄人くろうと好みな作品です。まぁ感性が研ぎ澄まされているかたは1回観ただけでもこの映画を堪能できるのかもしれませんが。

ということで、わたしは仕方なくもう1回観ることにしました。モヤモヤとした感じていたものを振り返りながら観ていくと、数々の描写が埋め込まれていることに気付きます。なるほどそういうことかと。

正直、作り手側は知っているから仕込みができるかもしれないが、初めて観る側からすればそんなこと気付くわけないだろ!っと言いたくなる。感動してもう一回観たくなってということじゃなく理解するために2回観るって、どういうことだ!と💢

さきほど言った通り玄人くろうと好みの作品ですから。素人向けにのわかりやすい丁寧ていねいな説明なんてしてくれません。苦情から入ってしまいましたが、じゃあ見どころはどこやねん!ということですが、

テーマが深い

この映画の原作はアメリカの作家トーマス・サヴェージの同名小説です。人間の心の内側を描いた作品で人種差別、同性愛、飲酒などの問題に切り込んでいます。1967年に書かれた!っていうのもすごいですが、見つけてきた制作側もすごいですね。

映像の迫力

撮影場所はニュージーランドの"アオテアロア"とエンドロールに書いてありました。数百頭の牛を移送するシーンは大迫力です。山々に囲まれた広大な大草原、フィルとジョージが暮らす古いけど立派な邸宅。こんな映像が撮れるのかと思うようなすごい映像です。さすがNetflix、金かかってます。

音楽のハマり具合

音楽はイギリスのバンド"レディオヘッド"のジョニー・グリーンウッド。数々の映画音楽を手がけるグリーンウッドの音楽がハマります。この映画はずぅーーっと得体の知れない緊張感が続く映画ですが、その雰囲気は彼の音楽によって作られているシーンも多々あります。

ここからはネタバレあり。(注意)

  • この映画、サイコなもやしにパワハラカウボーイが暗殺される話です!

そうです。トンデモないサイコ野郎ピーター(コディ・スミット=マクフィー)という人物が登場します。ピーターは華奢きゃしゃでとても可愛い顔をしてます。

母ローズが営むレストランでウェイターとして働くピーター。その店に入店したフィルがテーブルに飾られた紙で作った美しい花に気付き、「洒落てるじゃねぇか、どこのレディーが作ったんだ?」と聞くと、ピーターは嬉しそうに答えます「僕が作りました。」

それを聞いた、フィルはその花を燃やし自分のタバコに火を付けて吸い始めます。ピーターはひどく傷き、フィルに嫌悪感抱きます。ピーターの様子に気付いた母の呼びかけに見向きもせず外に飛び出していってしまいます。

そして外で何をするのかと思ったら、

一人、猛烈にフラフープを回します。クルクルクルクルクルクルクルクルクルクル。傷ついて耐えられなくなった1920年代のアメリカの若者はフラフープにぶつけるんですね。

ここまではピーターの登場シーンですが、ここまではとてもか弱く繊細な人間として紹介されます。

しかし、

夏になってピーターがフィルとジョージが暮らす家にやってきます。そのあとのシーンから猟奇的なサイコっぷりが徐々に顔を出します。

牧場で捕まえたウサギ(めちゃくちゃカワイイ)を母ローズに贈りますが、可愛がるのかと思いきや医学の勉強のためとそのウサギの腹を切って解剖します!内臓があらわに!衝撃っ!

そして、物語が進むに連れフィルと行動をともにするようになるピーター、二人で馬に乗って出かけていくシーンでまたしてもあっさりと怪我をしたウサギの首の骨を折って殺害します。ポキッ!そして血がポタ、ポタッ。

フィルはピーターに父のことを聞くと、亡くなった父(ローズの夫)の死因は首吊り自殺、そして第一発見者はピーターで、彼がロープを切って死体を下ろした、と。そして死の直前まで父は酒浸りだったことをフィルに話します。これってもしかしてもしかすると、もしかする話?

冒頭で「父が死んだ時、僕は 母の幸せだけを願った。僕が 母を守らなければ、誰が守る。」という語りが入りますが、これがピーターの台詞だってことに気付かされます。そしてその母がフィルとジョージが暮らす家に来てから フィルからのハラスメントが原因で 昼から隠れて酒を飲むようになりアル中状態。

ついには、

母を苦しめ、酒浸りにさせた張本人であるフィルを炭疽菌で死んだ牛の皮を使って殺害してしまう。そうですサイコなもやし野郎です。

  • 生きづらさ、閉塞感、

この映画の登場人物は皆、生きづらさを感じながら生きています。

なぜこの優秀な成績で大学を卒業したフィルが牧場経営なのかはちょっと不思議な感じがしましたが、おそらく父から受け継いだ牧場を経営するしか道がなかったと想像します。そして両親も登場しますがとても牧場経営のカウボーイだった人物には見えないインテリ夫婦。その両親から牧場を受け継いだフィル。1925年ではカウボーイは時代遅れ。バック・トゥー・ザ・フューチャー3でマーティーがドクを追って向かうのは1885年ですからそこから40年後がこの映画の舞台です。

1920年代のカウボーイという超男社会に身を置きながらフィルはゲイであることをひた隠すしかありません。そして周囲に威圧的な態度で接する。唯一彼が神のように崇拝するブロンコ・ヘンリーだけが彼を理解し愛していた。しかし、その彼はもうこの世にいない。ブロンコ・ヘンリーが身につけていたスカーフを股間に忍ばせマスターベーションをする日々。

一人になったフィルだが弟ジョージとの生活によって何とかその平静を保っていたところにローズが現れ、結婚によってジョージまで取られてしまいさらに孤独を感じる。

一方のジョージは、妻となったローズと二人で丘の上でダンスをするシーンがとても印象的で、彼はそのシーンで「一人じゃないって、いいもんだな」と天地真理あまちまりのようなことを言って涙を流します。

そうです!この太っちょでお勉強も苦手なジョージもまたカウボーイの荒々しい男社会には馴染めず孤独を感じていたんです。

そしてローズは元の夫が酒浸りで1920年代という男尊女卑な時代、おそらく酔った夫に暴行を受けていたと想像します。その母を救うためにピーターが手を下した。そのピーターもまたお嬢ちゃんとからかわれる日々を送っているゲイボーイ(とわたしは思ってます)。

つまりこの世の中の弱者、マイノリティーの生きづらさが凝縮して描かれた作品です。

そう考えると、この映画の原作は1967年に書かれたものですが、人間の孤独や生きづらさっていうものが普遍的なテーマなんだと感じます。その中で必死で生きているんだって。

聖書の言葉

タイトルのパワー・オブ・ザ・ドッグは聖書の言葉です。

「剣の力、犬の力から私の魂を解放したまえ」

ラストシーンでピーターが詩篇第22編20節を読み上げます。これはつまり父の暴力(剣)から解放し、フィルを排除することで酒浸り(犬=悪いもの)から 自らの手で愛する母を救った ということを、彼が正当なものと解釈するために聖書を引したようにも取れる この恐ろしさ。ゾワゾワします。

まとめ

一回観ただけではなかなか良さがわからない玄人くろうと好みの作品ですが、世の中の弱者をテーマに描かれた傑作。そして映像と音楽に圧倒される映画です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました